02| 十二世紀「木像阿弥陀如来立像」

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02| 十二世紀「木像阿弥陀如来立像」

(中尊)阿弥陀如来立像
 総高(光背含む)111.3cm、(光背なし) 90.9cm、像高57.4cm、髪際高 54.1cm、頂一顎 12.6cm、面長6.7cm、面幅 6.4cm、耳張 9.1cm、面奥 9.1cm、肘張20.2cm、裾張 14.8cm、胸典(左)8.8cm・(右)8.5cm、腹厚 10.4cm、足先開き(外)8.6cm・(内)4.4cm、光背高 81.0 木造来迎印阿弥陀如来像、膨眼、滚箔(後補)、頭髪群青(後補)、肉髻珠・自毫水晶(後補)、躶髪は地髪部6段、髪際 29粒、肉皆部 8段。一木割矧造か。両手手首より先(後補)、足先左右共に別材(後補)。像底に丸柄一本あり。台座は蓮華八重座。像底に墨書がある。
A「未来口如来/記豈大建主/ロロ十八世/口巻」
B「寛政元西六月朔日」 寛政元年=1789年
(左脇侍)観音菩薩立像
総高 65.4cm、像高37.0cm、菱際高 32.4cm
(右脇侍)勢至菩薩立像
総高 65.8cm、像高 37.5cm、髪際高 31.8cm
 両像共にやや前かがみに立つ。冠・理路(金銅製・後補)を付ける。玉眼、総体茶箱、髪に群青彩。表面の漆箔が厚く木寄法は不明。頭光、蓮華生を付属する。

阿弥陀如来立像 ー都の仏師による優美な定朝様の仏像ー

 「十二世紀に入ると、この[山城]地方での都の仏師の制作と考えてよい優美な定朝様じょうちょうようの仏像が現れる。平尾小字中古側西念寺の本尊阿弥陀如来坐像(像高五一センチメートル)と西福寺の本尊阿弥陀如来立像(像高五八・五センチメートル)がそれである。西念寺像は頭胴とも前後に割り矧ぎ、さらに頭と胴を割り離し、これに横一材の膝を寄せる形式で、その姿に典型的定朝様の美しさが表れている(写94)。西福寺像はちょうど西念寺像を立像にしたような姿で、下半身にx状のおだやかな衣文を刻むが、裳裾(もすそ)部と足先を修理している。当初は裳裾から両踵をだす形式だったろう。両像とも来迎印を結ぶ(写95)。」(『山城町史(本文編)』「第二章 原始・古代の展開 第六節 王朝時代の歴史と文化」山城町、1987。p.325〜326)​※[ ]内は引用者補足。

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じょうちょう【定朝】

 平安中期の仏師。康尚の子(または弟子)。1022年(治安2)法成寺金堂の諸像造立の功により仏師として初めて法橋ほっきょうに叙せられ、その後、興福寺の造仏で法眼ほうげんに進んだ。平等院鳳凰堂本尊阿弥陀像は現存する唯一の作例。王朝貴族の好みにかなった豊麗な日本的様式を創造、定朝様として長く日本の仏像の典型となった。( 〜1057)(『広辞苑』より)