06| 天正十二年(一五八四)「狛秀綱肖像画」

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06| 天正十二年(一五八四)「狛秀綱肖像画」

掛け軸 狛秀綱像(京都府登録文化財)天正十二年(一五八四)材質 紙本著色
法量:(本紙縦)80.5cm(本紙横)38.53cm(総高)164cm 総幅(軸込)60cm
特記 上下に切れ、剥落、上畳緑青焼け。遺像。寛政6年と明治10年に修理。平成十八年に株式会社「文化財保存」により保存修理。
※狛秀綱像掛け軸は現在「山城郷土資料館」で保管。西福寺では複製品(影印)を見ることができる。

「狛どん」の肖像画

NHKの大河ドラマ「花の乱」

 だいぶん前になりますが、平成六年四月より放送されていたNHKの大河ドラマ「花の乱」は、室町幕府第八代将軍足利義政の妻日野富子の生涯を描いた物語でした。脚本の市川森一さんは作中後半に一人の国人を登場させ、彼にスポットライトを当てました。山城の国、椿の荘の国人・伊吹三郎(役所広司)という架空の人物です。

室町時代のヒーローと言えば誰か?

 そもそも室町時代から大河の主人公になるようなヒーローやヒロインを見つけることは難しい。これまでもNHK大河では、「太平記」の足利尊氏と「花の乱」の日野富子くらいしかありません。「花の乱」で描かれる室町末期は、「応仁の乱」という日本を東軍・西軍に分ける長い戦乱期とその戦の余波で占められます。応仁の乱は将軍家の跡目争いに端を発し、管領家の権勢争い、畠山両家の継嗣争い、果ては地方の守護大名を巻き込んだ群雄割拠の戦国時代の前哨戦へと発展する。最後には地方の国人諸大名の領地争いまではじまるわけです。というより「山城の国一揆」でい言うと、国人衆を中心に百姓たちが自治独立国を形成し、畠山義就といった有力守護を国より締め出し、中央に対しても反旗を翻したのでした。

  応仁の乱は、その前後で日本の歴史を二分したと評されるほどエポックメイキングな出来事で、「東軍と西軍」、「天皇・将軍家と河原者」、「武士と百姓」、「聖と俗」、「善と悪」、「生と死」といったあらゆる二項価値が対立し、ついには天地がぐるっと転回していく。少なくともこの時代の人々の意識の中では、上も下も、メジャーもマイナーも、主役も脇役も、善人も悪人もすべてがフラットになる、そんな瞬間があった。誰もが主人公、そしてヒーローとなれる時代でもあったわけです。室町時代が大河ドラマになりにくいのはそうした事情もあるわけで、その意味では「花の乱」で市川森一さんが描く国人・伊吹三郎は、将軍や日野富子、山名・細川、畠山両軍に引けを取らないヒーローでもあるわけです。

武士か百姓か?「国人」(在地領主)のイメージ

 さて、この架空の山城の国の国人・伊吹三郎について脚本の市川森一さんは、こう言っておられます。

 「『花の乱』」では、山城の国の椿の床というのを設定しまして、これを山城の国一揆の抵抗運動の象徴にしようと。そのリーダーに伊吹三郎という人物を設定した。この人物を、当時起こったさまざまな国一揆の代表にした。(中略)伊吹三郎というのは実は十人くらいの人間を一緒にしたフィクションの人間なんです。当時実在した何十人かの名もなき国人たちの象徴としての存在なんで、完全なフィクションとも言いがたい。そういう人物が大河ドラマには出てくるんですね。特に庶民の側にはね。」

(「『花の乱』の創作ばなし」デジタル脚本アーカイブズ市川森一の世界(HP)より http://ichikawa.nkac.or.jp/archives/)

 国人とは諸国在地の小領主のことですが、武士なのか百姓庶民なのか、その実像もイメージしにくい。当山西福寺に遺されている狛秀綱の肖像画は、国人レベルの人物としては唯一残存している肖像画で、歴史学的に重要な資料であり、伊吹三郎という架空の人物の造形にも役だったはずです。「花の乱」放映時には番組の後半にある観光スポット紹介で当山西福寺と狛秀綱の肖像画が取り上げられました。

NHK「歴史秘話ヒストリア」日本を変えた室町三大事件

 NHK番組「歴史秘話ヒストリア」でも西福寺の狛秀綱肖像画が取り上げられました。放送は「日本を変えた室町三大事件」(平成三十一年二月二十日の放送)と題し、「観応の擾乱」、「嘉吉の徳政令」、「応仁の乱」といった歴史的大事件を通して室町時代全体を俯瞰する内容でした。

 室町時代には際立った中心人物もなく、政治権力をめぐる争いの渦中で様々な人物が入り乱れ、不毛な戦乱が長きにわたって続いた時代です。いったい何がおこっていたのか理解するのがとてもやっかいで、なかなか興味をひきにくい時代です。しかし、近年続々と発刊された室町時代を扱った新書により、一般にもにわかにこの時代が注目されることとなりました。

 室町時代に何が起こって、どのあたりが面白いというのか。番組はその点を要領よくまとめてくれていました。室町には、日本社会の構造、日本人の価値観そのものを揺るがす地殻変動がおこったようなのです。

観応の擾乱(亀田俊和『観応の擾乱 - 室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い 』(中公新書、2017)
 足利氏の兄弟ゲンカ(尊氏VS直義)に端を発した観応の擾乱は、その後五百年にもわたる武士の時代をつくるきっかけとなる事件でした。これをきっかけに武装して戦いを生業とする人々へのリクルートが増え、「武士」と呼ばれる身分階級ができあがりました。

嘉吉の徳政令(早島大祐『徳政令- なぜ借金は返さなければならないのか』講談社現代新書、2018)
 やがて農民たちの中からも武装する集団が誕生し、徳政令を求める土一揆が頻発します。徳政令とは、債権者に借金をチャラにするよう命じる、いわば幕府から下層民へのおもいやり命令です。当時は「借りたものはオレのもの」が人々の慣習法でした。民衆が一揆を起こしたり、幕府に徳政令を要求するのには、こうした慣習法がバックグラウンドとしてありました。こうなると社会の秩序が乱れて当然です。
 そこで、幕府将軍(足利義勝)はみずから調停役となり人々の慣習を正し、法意識の整備に乗り出しました。その中で、現代にも通じる「借金は返すもの」という当たり前のお金のルール、裁判を通して公正に正義が判断される法意識が人々に浸透することになります。しかし、農民一揆はおさまらず、あえなく幕府は再び徳政令を発布する事態に追い込まれます。

応仁の乱(呉座勇一『応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱』中公新書、 2016)
 応仁の乱は、足利幕府のお家騒動が極点に達した中世最大の内乱です。東西両軍に分かれた争いは京の都を焼き尽くしました。増大した武士階級すべてを巻き込んでの争乱は、やがて都を越えて地方にまでその戦火が波及し、農民一揆とも結びついて地方武士の台頭を促しました。この時に力をつけた地方の武将たちが後に戦国時代の立役者となります。

名もなきヒーローたちの時代

 さて、歴史の多くは政治的権力をもった天皇・貴族・武士の物語として描かれます。なるほど、観応の擾乱は幕府の実権めぐる兄弟の骨肉の争いだし、徳政令は貧窮にあえぐ農民を救う幕府の政策だし、また応仁の乱も実力者同士の権力争いです。しかし、この時代の動きを虫眼鏡で仔細にながめてみると、本当の主役は、増大する下級武士や地方武士たち、そして蜂起する名もなき農民百姓たちであったことがわかります。番組から見えてくる室町時代の長い戦乱とは、日本に住まう名もなき人々が自身の生命と財産の権利を求めて戦った出来事、ときに幕府に自分たち正義を求める権利の請願であり、やがては地方の独立運動へと発展する一大革命だったわけです。

狛どん

 番組は最後にこの上狛の地、そして在地の国人・狛氏を紹介していきます。
 上狛の地を領土とする国人狛山城守秀は、応仁の乱の最後の舞台、山城国で一揆をおこしたリーダーのひとりです。国人とは普段は農民として生計を立て、いざとなれば戦に赴く地方武士の頭領のことです。国人等が率いた山城国一揆は、幕府や朝廷、大名、寺社などに対し、貸借関係の破棄を求め、土蔵破りで米や金銭を奪った一過性の土一揆とは一線を画しました。南山城(宇治以南)の国人らは平等院の阿弥陀仏像の前で団結(結縁)し、したたかな交渉を繰り返し、無血革命でいわゆる「中央」の諸権力の干渉を排除しました。そして寺社と田畑を共有財産とし、祭祀や用水管理を共同で行い、国のあり方を各村の代表による合議で決するといった日本初の自治独立を実現したのでした。国人らがはたした自治独立はたった八年間の短いものでしたが、この出来事は「自治のひな形」とも称され、フランス革命期の国民議会に匹敵するものと評されます。

 室町の歴史は実は名もなき農民(地方武士)が作った歴史でもあります。その名もなき民衆の象徴が当山西福寺に肖像画が遺る狛秀綱であり、その祖・狛守秀なのです。上狛の環濠集落では昔から狛氏を親しみを込めて「狛どん」と呼びます。また西福寺が「狛どん」の菩提寺であったことは誇りです。番組の最後の最後、住職である私が恥ずかしながら登場し、インタビューに答えています。その中で「この地の人々にとって狛氏とはどのような存在ですか」と唐突に尋ねられ、私は思わず「ヒーローです」と答えていました。